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Dance&Song

​~つながっていく踊りと歌~

歌い、踊り、受け継がれていく島の空気。

音とともにある小笠原のくらし。

小笠原の”フラ”

小笠原は、非常にフラが盛んだ。

フラとは、ハワイ語で”踊り”を意味する言葉で、古来より神にささげる踊りだったという。

父島母島合わせて2500人ほどいる島民のうち、老若男女200人ほどがフラのレッスンクラスに所属していると聞いた。

毎年8月には「フラ・オハナ」というイベントが開催され、クラスごとにおそろいのハワイの衣装に身を包んで、一年間の練習の成果を披露する。バンドによる生演奏と生歌も見どころの一つ。島で行われる数あるイベントの中でも、出演者として参加する人数が非常に多いため、島民総出の一大イベントとなる。

オハナが迫ってくると、首にかける”レイ”や髪飾りの”ココ”を作るために、花や葉っぱを求めて島中を駆けずり回ることになる。とにかく出演者が多いため、目に付くところの使えるもの(特にティの葉)は、あっという間になくなってしまうからだ(単に私がぼんやりしていただけかもしれない)。オハナ以外でも、ティの葉は何かと必要になる機会が多いので、いくつか調達の目途をつけておくといい。

オハナの後には昇級審査が行われ、合格した者は上のクラスに上がることができる。各クラスそれぞれに指導者が付いて、レベルに合わせた曲を練習していく。女性の基礎・中級・上級クラスをはじめ、ちびっこのクラスや、中学生、高校生、キュートなおばあちゃんたち、また男性による”男フラ”まで、いくつものクラスに分かれている。自分たちの練習もありながら、毎週丁寧に指導をしてくださる先生方には、本当に頭の下がる思いだ。

私は島に移住して半年ほど経ってから、フラのクラスに加入した。そこでは子育て中のお母さんや、海のガイドをしている子、宿や飲食店で働く人など、三者三様、異なる環境に暮らす人たちが一緒に練習をしている。あっという間にたくさんの人と知り合うことができて、島での生活がより楽しいものとなった。

 

『いつかは上級クラスに…』と、夢と希望を胸に抱いて、友人とああだこうだ言いながら海辺で踊ったものだ。ほどほどに酔っぱらいながら。

小笠原の”歌”

島でフラを始めるまでは、フラとは発祥の地ハワイの曲を踊るものだと思っていた。けれどここ小笠原では、昔から伝わる「小笠原古謡」や、島に住む人が作詞作曲した新しい曲など、小笠原の歌でもフラを踊る。島をイメージした歌詞に、それを表すオリジナルの振りが付けられている。

 

私は「小笠原の歌」がとても好きだ。内地に引き揚げた今でもよく聞いている。どの曲も、島のゆったりとした空気や穏やかな時間を感じさせてくれる。島で過ごしたあたたかい日々を思い出す。

特に、夕方のチャイムにも使われていた小笠原古謡「丸木舟」は、フラで踊ったこともあって、とても思い入れがある曲だ。島でウクレレを手に入れて練習し、いちばん最初に弾けるようになったのもこの丸木舟だった。ちなみにその次に覚えた曲は、今のところ最後の曲となっている。

もう一つ、小笠原古謡「レモン林」という曲も大好きだ。ミクロネシアから伝わったとされるこの歌は、恋人同士の甘やかな物語ではあるけれど、『平和になったら…』という歌詞にちらと戦争の影を窺わせる。切ない祈りの曲でもある。

毎年3月、島の卒業生が内地へと旅立つときにも、波止場で流れるのは「アオウミガメの旅」という小笠原で作られた歌だ。日本一のウミガメの産卵場所である小笠原。浜辺で孵化した子ガメは、海を目指して進んでいく。旅立つ小さな後姿を見つめながら、無事に戻ってきてほしいと願う大人たちの心を描いた小笠原の定番ソングだ。

たくさんあって紹介しきれないけれど、ほかにも「サンゴ通り」「ランデヴー」「高1サーファー」「ドキドキアイランド」などなど、島らしい歌がたくさんある。島の高校生たちの爽やかな青春なんかを想像して、ニヤニヤしてしまう。お土産屋さんにCDが売っているので、ぜひ聴いてみてほしい。きっと、島の楽しさや、あたたかい空気感を味わうことができると思う。

小笠原の”南洋踊り&KAKA”

小笠原には、南洋諸島ミクロネシアの文化が伝わっている。その象徴的なものが、「南洋踊り」だ。

 

この南洋踊りは、日本が南洋諸島を統治していた時代に、小笠原の島民が現地の踊りを持ち帰ったのが始まりとされている。保存会の人々によって踊り継がれているほか、島の小学生たちも授業の一環で習うらしい。

南洋踊りの踊り手たちは、頭にアレカヤシの葉で作った輪を乗せ、腰蓑に身を包む。さらに、木の実や貝で作った首飾りをかけたりと、その出で立ちはまさに南洋の島人。『ここは日本?』と驚くかもしれないけれど、2000年には東京都の無形民俗文化財にも指定されている。木をくりぬいて作った”カカ”という打楽器にあわせて、歌にのせて一定のリズムで踊る。

伝わる歌は全部で5曲あり、「ウラメ」「夜明け前」「ウワドロ」「ギダイ」「アフタイラン」という順でつなげて踊る。曲名を見ても分かる通り、「夜明け前」以外は日本語の歌詞ではなく、南洋諸島の言葉だという。以前、”お祭り広場”と呼ばれる大神山公園で、南洋踊りの講習会があるというので行ってみた。もらった歌詞カードはほとんどがカタカナで書かれていて、歌詞の意味はさっぱり分からなかった。

しかし、何度も聞いているうちに「イッヒヒ、イッヒヒ、イヒヒ~」「レフト、ライト、レフト、ライト」という独特な歌詞たちが頭から離れなくなり、だんだん愛着がわくようになっていった。内地に引き揚げてから参加した島のイベントで、ほかのスタッフと一緒に南洋踊りのリズムにノッていた時、『私も小笠原の一員になれたな~』としみじみ思って、一人ひっそり感慨深くなっていた。

* * *

さて、南洋踊りに使われる打楽器”カカ”についても少し触れておこう。この”カカ”は、島でいう”タマナ”という木(和名テリハボク)の内側をくりぬいて作られた楽器で、非常にシンプルなものだ。ギンネムの枝をバチにして叩くと、「カンカン」「コンコン」と乾いた音が心地よく辺りにひびく。”KAKA”とアルファベットで表記されることが多い。

その大きさは様々で、小さいものは50cmほどで持ち運びも簡単だけれど、大きいものとなると3mを超える。動かすには数人の手が必要だ。普段はお祭り広場のステージの前に転がって…いや、置いてある。ステージに上がるための台ではないので、ご注意を。

南洋踊りがイベントで披露される際、演目にはだいたい”南洋踊り&KAKA”と書かれている。『わざわざ楽器の名前を併記するんだ~』とぼんやり思っていたけれど、調べてみると、カカが生まれたのは小笠原が日本に返還された後とのこと。南洋踊りに使用されるようになったのは、近年のことらしい。新旧の芸能が一緒に舞台を作り上げているということで、なるほど、カカと南洋踊りは一体というわけではないのだな~、と、これを書きながら納得したのでした。

島にいた時、私はお祭り広場のすぐ近くに住んでいた。夕方になると、広場の方からかすかにKAKAの音が聞こえてくる。

コンココ、コンココ、コンココ、コンココ…

リズミカルな、乾いた木のあたたかい音。その向こうに、前浜の波の音。ゆったりした空気にひたれる、幸せな時間だった。

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